2012年5月13日 (日)

5月の旅

春の連休に、出雲大社へ行ってきた。


私の、どちらかというと好んですることの1つに
「神社への参拝」がある。

精神的にすごく落ち込んでいるときなど、
せめて自ら踏み出す足がおかしな方向へ行かないように
見守ってもらえるようお参りする。
平穏なときは、私と家族と周りにいる人に
笑顔が絶えないように、やはり見守ってくださいとお参りする。

そしておみくじ引いて、記された言葉の厳しさや優しさに
すこし背中を支えてもらう。

毎日のくらしの中では、氏神様への参拝で充分満足だけど
ときどき、大きな存在に逢いたくなる。


。。。

いまちょっと旅へ行くことになるまでのあれこれを
打ち込んで、消したとこ。

あらすじみたいにわあと書き並べたのを眺めたとき、
今日までの毎日は、その日暮らしでボンヤリと歩いてきたようで
何かの導きがあったような気がしないでもない。
でもそれは私が自覚しておけばいいことで、
誰かに「ほれ!」と知らしめたいわけではないし、
知ってもらってもなぁ…、と思ってポチッと削除。


ここ5年ほど、私はスサノオさんとのご縁が続いている

都内に初めて居を構えたときの氏神さんが素盞雄神社だった。
大阪へ帰ってきて最初に選んだ住処もご祭神が素盞嗚さんで、
今の住まいの氏神さんとこにも合祀されている。

これはどれも狙っていたわけではなく、
引っ越しを終えて一息ついて
散歩したとき初めて気づくことばかり。

そういうわけで、今回の旅での一番の収穫は
出雲大社参拝ではなく、
1時間に1本しかないバスにゆられて辿り着いた
日御碕神社の「神の宮」で素盞嗚さんと対面できたことかな。

帰りの時間に気をとられてゆっくりできなかったのが心残り。

出雲国、また行きたい。

行くならまた岡山から特急で。
ジワジワと神さまの懐へ入るので、衝撃が少ない、気がする。

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2012年4月 9日 (月)

桜の木の下で

同窓会にウキウキいそいそと出かけられた試しがない。
現在や過去を根ほり葉ほり聞かれるのがめんどくさいからだ。
触れられたくない話題にぶち当たることもよくある。
それを断って気まずくなるのもイヤ。

重暗い気持ちを抱えながら、高校時代の面子が集う花見という名のBBQに出かけた。

8分咲きの桜の森の下、のんびりと飲み食いしつつ
入れ替わり立ち替わりメンバーと話しているウチに
何人かが同じようなことを考えているのを知った。

あー、そりゃそうだわ。
みんなそれぞれ、いろんなこと経験してきてるはずだもの。
少なからず心に傷を負ってるだろう。

昔のノリのままズケズケと踏み込む物言いも、ところどころ健在なんだけど
大半は、熟成されてて
なんだかとてもいい具合な関係に育っている。

大人になるって、いいなぁ。

大丈夫。
私らは、きっと年老いても、いつ顔を合わせても、なかよくいられるよ。

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2012年4月 1日 (日)

新年度

迷う。

感謝する。

前進する。

首を傾げることもある。

でも、顔を上げて進める。

欲はほどほどに。

正直に。


さあ、春が来ていますよ。

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2012年3月11日 (日)

Inside / Outside

外へ向かいたいと思う気持ちと
内へ閉じこもりたいと思う心が
私を逆方向へ引っぱり合ってて
動きづらい。

幸いなのは、外向きがやや優勢なこと。

ようやく、「思ったことを口にする」ことへの
抵抗がなくなった。
だからって、思ったままを口走っていいのとは
ワケが違うのだけれど。それは当たり前で。

そういう意味とは全然異なる状態だったことを
どう表現できるか、今となっては自分でも難しい。

例えば、そうだな。

「私がここでこういうことを話すべきではない」とか
「この人には、私の話は意味がないかもしれない」とか
まあ、そういう脅迫めいた心理状態に押されて
言いたいことを考え出すことを抑制していた…というか。

自分の感情の中に抑圧された部分が常にあって
「特定の人」に対して発信することに
ものすごいプレッシャーがあったんだと思う。

それが、最近は感じられなくなった。
なんでわかったかというと、
言葉を発信する前に要していた時間が
少なくなってたことに気がついたから。

感じられなくなったのだけれど
外向きと内向きの傾向は今でも、波が寄せて引くように代わる代わるやって来る。

今回みたいに同時に気がつくことは初めて。

今日だから、かも知れないけど。

ナントカ現象みたいなものかな。


明日は気持ちも晴れてるといいな。

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